マーケティングとは

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電通「鬼十則」

大学を卒業後、必ずしも第一志望では無かったが(書くと長くなるので省略するが、実は三井物産に入社する予定だった)広告代理店の電通に入社。
ポット出の学生にとっては、当り前の事だが、見る物、聞く物、なにもかも物珍しく全てが初体験の連続であった。(入社時はラジオテレビ局・テレビ一部 NTV担当)
当時、我々電通マンとしての仕事に取組む意識・行動のベースとなっていたのは「鬼十則」である。

電通(人の行動規範)「鬼十則」【1951年(昭和26年)制定】

  1. 仕事は自ら「創る」べきで、与えられるべきでない。
  2. 仕事とは、先手先手と「働き掛け」て行くことで、受け身でやるものではない。
  3. 「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
  4. 「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
  5. 取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは……。
  6. 周囲を「引きずり回せ」、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
  7. 「計画」を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
  8. 「自信」を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
  9. 頭は常に「全回転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
  10. 「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

<第4代吉田秀雄社長の遺訓>
(1947(昭和22)年6月~1963(昭和38)年1月)

<守・破・離>

その後、東京本社にていくつかの業務に携わるが「守・破・離」も好きな言葉のひとつで仕事をする上での基本スタンスと考えている。

守・破・離「Learn・Break・Create」-物事を学ぶ時、常に心掛けている事-

守る、破る、離れると書き、英語に訳すと上記となる。

千利休の言葉に由来し、「守りつくして、破るとも、離るるとても本(もと)を忘るな」とある。

「本」つまり「本質」を忘れず、先ず基本を学び、基本が身についたらブレイクして応用を心掛ける。そうすれば最後に、自分なりの新しいやり方がクリエートできるという意味。

マーケティングとは (-たえずマーケティング・マインドを持ち続けること-)

全ての仕事の取り組み方の基本は、(仕事に限らず全ての物の考え方に共通すると思うが、)情報収集・分析してマーケティング・マインドをもち続けると、どんな難しい課題解決にもきっと道が開けてくるのではないかと考える。

辞書的に言うと、
 「マーケティング」-生産者から消費者へ商品やサービスが流れる過程の一切の商業活動、広告宣伝、市場調査を含む。
 「マーチャンダイジング」-商品化計画。市場調査に基づく合理的で全体的な販売促進策。
という事になる。

終戦(昭和20-1945-年)から10年間は、極度の物資不足時代に対応するために、増産体制の確立が求められた生産志向企業時代であった。昭和30年代ともなれば、戦前の状態に戻ったので、今度は需要に上回る供給体制ができ上がり、作ったものをなんとか市場開拓して売り込まねばならないセールス重視の企業時代に入ったと言える。

ところが数多くの企業は壁にぶつかった。というのは、ひとときは、つくったものを売り込むセールスがきいたが、あるところまでくると、それ以上に伸びないのである。そこでマーケティングの関心が高まってきた。つまり、でき上がった商品をいかに売り込むかを考える前に、買い手が求める商品をつくっていたのかどうかということである。

というのは、需要化に、ダイナミックな変化を包含しているからである。買い手に売り込むプッシュ戦法から、買い手の希望(ニーズ)をひき出して、それに応じた生産、販売体制を考えるプル戦法をとらねばならないことになったわけである。これがマーケティングである。

なんとか売り込んでやろうとする直線的販売を目指すセールスに対し、買い手が何を求めているかの商品計画を究明し、その線に沿った商品開発が展開されたならば、それをいかに上手に売ってゆくか、そこで終ってはならない。売ってから何でも面倒みようとする態度が示されねばならない。つまり、買い手に始まり、買い手に終る販売体制の確立を目指すのがマーケティングだというわけである。

「消費者は王様」という言葉が登場してきたのは、このような背景から出てきたと言ってよい。しかもそれを通して売り手としても効率よい販売を実践して利潤を上げてゆく事が実現されねばならない、つまり売買両者に共にプラスとなる販売(ウィンウィンの関係)を目指しているのがマーケティングである。

このような指導理念のマーケティングが日本に導入されてから、かれこれ60数年を経過したわけだが、昭和50年の声を聞くと共に、新しい方向が見出されなければならなくなった。何とか売り込みさえすれば手段はどんな方法でもよろしい、というプッシュ戦法の販売がまずいことは言うまでもないが、買い手たる消費者に喜ばれるものの提供を通して、プル戦法を展開し、売り手としても利潤を上げて喜んでゆく事を考えるだけでも不十分だというのである。

買い手が喜ぶデザイン、運転しやすいメカニック、乗り心地の良さ、買いやすい値段、これらが考えられていれば、自動車のマーケティングとしては、今まで申し分なかったわけで、買い手に喜ばれ、売り手としても大いに利潤を上げて喜んでゆけるわけである。ところが、その自動車の出す排気ガスが一定量を超す事によって生命の安全、保持に悪影響を及ぼすという問題が出てきた。従来のマーケティングでは、買い手に喜ばれる事は考えたが、そこまでは考えなかった。しかし、この様に他の人々に与える影響を配慮せねばならないことが出てきた。マーケティングの社会的責任論が登場してきた理由である。

そこで商品計画の段階から、新しい視点での見直しが必要とされてきたのである。これを厄介な事だと考えるのではなく、これからは、それに前向きに対処してゆく事を通して企業の成長、発展が約束されてゆくとみなければならない。

昭和60年代~平成を迎えると、大型小売店でも消費の不振が続いており「売れない時代」を迎えている。つくる立場や売る立場からみて、これは売れそうだと意気込んでも、いざ売り出してみるとさっぱり売れないというケースが多くなっている。

このように売れない時代でも、ヒット商品を連発しているメーカーがあるし、売れ行きが好調な大型小売店もある。売れない時代によく売れている商品に共通しているのは、つくる立場や売る立場で開発したのではなく、ユーザーの立場に立って開発され、生産された商品ということにある。

研究開発、商品の企画、生産などあらゆる部門がユーザー指向に徹し、ユーザーがどのような商品を欲しがっているかを良く見極めた上で「売れ筋商品は何か」を十分につかみ、それを集中的に開発し、生産している企業がヒット商品を出しているのである。

この様に、全社一丸となってユーザー指向に徹し、企業のあらゆる機能がマーケティングによって方向づけられるシステムをトータル マーケティング システム(TMS)という。

そして現在、21世紀は「開発したものを売る」時代では無く、「売れるものを開発する」時代なのである。流通業者ならば「仕入れたものを売る」時代から「売れ筋商品を仕入れる」時代になっているのである。

低成長時代には、他社のヒット商品にヒントを得て、二番手、三番手を狙うやり方は通用しない。ユーザーの選択の目もきびしくなっており、二番煎じの商品では迫力がないからである。そこでTMSを全社的に定着させ、開発の段階から売れ筋商品を発掘する体制をとることが必要な時代なのである。

一方、低成長時代にもかかわらず、技術革新の進展の速度は、ますます早くなっているので、ユーザーのニーズの変化も激しい。従って商品のライフサイクルも短くなる傾向にある。ものを作る立場からみると、機種別の需要予測を的確に行なって「必要なものを必要なだけつくる」ことに徹することがますます重要になる。 技術開発とマーケティングが有機的に結合した経営体制をとっている企業が優位を占めるようになろう。

-地域ブランドクリエーション-選ばれる地域へ

最近、さかんに地域ブランドという言葉が使われるが、私に言わせると何か違和感を感じる。ブランドの意味をどう考えているのか?
何年か前に電通社内で「選ばれる地域へ-地域ブランドクリエーション-」というテーマで研究したことがある。一部それを記してみたい。

地域振興として観光や産品が地域戦略の柱として注目される中、各地域では競争に勝ち抜く為、個別的に産品や観光の振興に取り組んでいるが、地域内の商品・サービスを通じてアイデンティティやビジョンの共有化が出来ない為、十分効果を発揮できずにいる場合が多い。
マーケティングの世界では「ブランド論」がかつてない程注目されている。機能的に差別化が少ない商品同志が競う今日のマーケティングでは、商品機能は「予選通過」の条件に過ぎない。実力伯仲のライバルがひしめく「決勝レース」を勝ち抜くには、顧客の心の中のレースで優勝する事である。即ち顧客の心の中に数多くの好ましい思い出を作ることにより、ライバルに勝つ事ができるのである。
実はこの好ましい思い出がブランドの実体であり、ブランドは顧客の心の中に存在するのである。

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